群青色の時間

遥かなるマスター・オブ・ライフ<人生の達人>への道

大谷翔平

ロサンジェルス・エンジェルスの大谷翔平が今季のアメリカン・リーグ最優秀選手(MVP)に選出されました。
日本選手のMVPは2001年のイチローシアトル・マリナーズ)以来20年ぶり。
満票での選出はMLB史上19人目だそうです。

メジャー移籍後は故障もあり、シーズン通して投打の二刀流を全うすることがなかなかできなかったものの、今季はそのポテンシャルを見せつける活躍ぶりでした。
打っては終盤まで本塁打王争いを展開し、投げては規定投球回数には届かなかったものの投球回数、勝利数、奪三振数はチームトップという信じがたい成績。
打者として138安打、100打点、103得点、投手として130 1/3投球回、156奪三振と、MLB史上初のクインティプル100達成者となりました。
更に盗塁を26決めているというのも特筆しておきたいところです。
野球選手としての総合力の高さに驚かされます。

大谷がプロでも二刀流に挑戦すると公言してNPB北海道日本ハムファイターズに入団した頃、野球評論家の中には誰とは言いませんが「プロ野球を舐めている」とまで言う人もありました。
想像を絶する苦労の連続だったと思いますが、バッシングをものともせずに自分の意思を貫き通し、ここまでの成績を残す選手に成長したことには感服するしかありません。

彼が日本ハムでプロのキャリアをスタートさせた時、今日の成績を予想できた者はいなかったでしょう。
NPBでも私がリアルタイムで見ていた選手で言えば、フェリックス・ペルドモ(広島東洋カープ)や嘉勢敏弘オリックス・ブルーウェーブ)が二刀流で話題になりました。
しかし両選手ともリリーフや代打での出場が主で、二刀流というものは投打どちらも一軍選手として及第点程度のパフォーマンスをしてくれれば御の字、という印象が強いものでした。
大谷のように先発登板で160kmを連発し、打撃ではシーズン二桁本塁打を記録するというのは、プロ野球の「常識」に捉われていた私にとっては衝撃的なことでした。

そして今シーズン、ついに大谷翔平MLBの歴史までも変えてしまいました。
大谷がエンジェルスに入団した時、米国の野球ファンの多くは、「NPBで二刀流で活躍できたのは日本の野球のレベルが低いからでMLBではそうはいかない」、と考えていたと思います。
それを覆す活躍を見せてくれていることが本当に痛快です。

NPBで活躍していた選手がMLBに移籍して、期待されたような成績を残せないというのはよくあることです。
私はその理由を、必ずしもMLBの野球のレベルが高いからではなく、プレースタイルの違いによるところが大きいと考えています。
国によってボールのような道具も違うし、審判の判定基準も違います。
日本選手に限らず一部の選手はNPBでもMLBでも好成績を残すわけですが、それはその国の野球に順応することができるか否かがポイントです。
従って、大谷がMLBで二刀流選手として成功できるかどうかは、即ちMLBの野球にアジャストできるかどうかだと思っていました。
その点も彼は見事にクリアしているように見えます。

米国のニュースで大谷を評して「信じられない才能」という表現をしているのをよく見かけます。
本当に才能と努力の底が見えません。

投打ともタイトル争いをするレベルでの二刀流は可能だということを示した大谷翔平
大谷の成功がなければ、今後の選手が二刀流にチャレンジするチャンスを与えられることも難しい状況になったでしょう。
そういう意味で、二刀流に本気で挑む環境を与えた日本ハム、そしてMLBでの二刀流継続を受け入れたエンジェルス、この2球団の決断にも敬意を表したいと思います。

心身ともにエネルギーを消耗するであろう二刀流を、今年のようなレベルでいつまで見られるのかはわかりません。
今季は最後まで怪我なくシーズンを終えることができてほっとしました。
伝説の証人となれる現代の野球ファンは幸せです。
いつか投打のいずれかに絞る日が来るかもしれませんが、本人が納得のいく形でキャリアを積んでいっていただきたいと思っています。

 

 

松坂大輔

埼玉西武ライオンズ松坂大輔が現役最後の登板を終えました。

横浜高で甲子園春夏連覇
しかも夏の決勝戦無安打無得点試合達成という超高校級(最近この言葉聞かんなぁ)のスーパーエースでした。

ドラフト1位で入団した西武では1年目から最多勝投手に。
世紀末の球界に現れた大スター。
まさに平成の怪物という名が相応しい活躍ぶりでした。

松坂が初めて神戸で登板した試合は、グリーンスタジアム神戸(現・ほっともっとフィールド神戸)で観戦しました。
注目はやはり5年連続首位打者(当時)のオリックスイチローとの対決。
西武ドーム(現・メットライフドーム)での初対戦ではイチローから3三振を奪い、「自信が確信に変わった」とコメントしていた松坂。
神戸での初登板でも完封ペースの快投を見せていましたが、それを阻んだのがイチローでした。
9回に松坂から本塁打を放ってホームのグリーンスタジアムで意地を見せたイチロー
私はこのシーンにプロ野球の新時代到来を強く感じました。
尚、この本塁打イチローのキャリア通算100本目のアーチ、そして松坂から打った唯一の本塁打となりました。
現地で観戦できたことは野球ファン冥利に尽きます。

松坂は西武で日本シリーズ優勝、ボストン・レッドソックスワールドシリーズ優勝、そしてワールドベースボールクラシックWBC)では日本代表として2度優勝しています。
ちゃんと調べていませんが、恐らくこの3つのタイトルを獲得している選手は松坂大輔ただ一人でしょう。
甲子園では春の選抜大会と夏の選手権で優勝しているわけで、この5つのタイトルを獲る選手はこの先も現れないんじゃないかと思います。
(※2021/10/20追記: 上原浩治もでした。大変失礼致しました)
正直、プロのキャリアの引き際は誤ったと個人的には思っていますが、球史に残る大投手であったことは間違いありません。
日本に生まれてリアルタイムで松坂大輔の活躍を体験できて光栄でした。
本当にお疲れ様でした。

うちの師匠はしっぽがない落語会

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先週末の9月4日、天満天神繁昌亭で開催された「うちの師匠はしっぽがない落語会」に行ってきました。
TNSKさんによる漫画「うちの師匠はしっぽがない」(略称「しっぽな」)にちなんだ落語会です。

入場前に繁昌亭すぐそばの天神さん(大阪天満宮)にお参りし、本日の会が無事に開催されることについて御礼申し上げました。

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尚、大正時代を舞台にしている「しっぽな」ワールドには繁昌亭は存在しませんが、大阪天満宮は度々登場します。
人間の私には「天神ちゃん」の姿は見えませんが(笑)。

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今回の会は、作品中に登場する演目を中心とした落語4席と住よし踊、そして作者のTNSK先生を交えたトークコーナー、という構成でした。


オープニングトーク: 作者TNSK×笑福亭生喬・月亭天使
看板の一: 露の紫
遊山船: 笑福亭生喬
仲入
住よし踊: 笑福亭生喬、露の紫、月亭天使、入谷和女(三味線)、桂弥っこ(太鼓)
引き出物: 桂三扇
崇徳院: 月亭八方


オープニングトークは着物姿のTNSK先生と、笑福亭生喬師匠、月亭天使さんが登場。
出囃子が「しっぽな」アニメ化記念動画のBGMの生演奏という素晴らしい演出でした。
「あ、あの動画のBGM!」と思ったのですが、あまりにも普通に演奏されていたため、私が知らないだけで元々存在する寄席囃子なのかもしれない、などと考えていました。
後からTNSK先生のTwitterの投稿で、下座の皆さんがサプライズで動画の音楽を耳コピで演奏されていたということを知りました。

このトークコーナーはTNSK先生のお話を生で聞けるという貴重な機会。
先生曰く、大正時代に女性落語家が活躍するというのは史実とは異なるものの、男だから、女だから、という観念では描きたくなかったとのこと。
歴史的に男性社会である落語界で現実の女性噺家がよく言われるであろう「女のくせに」といったような表現は、この作品には出さないと決めているそうです。

生喬師匠は、「しっぽな」の登場人物である恵比寿家歌緑の台詞が印象に残っているといいます。

「本当に君は面白い(中略)でも君が面白くちゃ意味がない」、「ボクはつまらない人間だけど ボクの中の奴らは中々に面白い」(第4巻収録第18話)。

生喬師匠が自分の師匠である六代目笑福亭松喬師匠から常々言われていた教えと重なるということでした。
松喬師匠の考える落語の姿とは、回り始めた映画のフィルムが途中で止まることなく上映を続けるが如く、一旦噺に入れば演者は落語の世界を描くことに徹し、決してお客に素の自分を見せてはいけない、というもの。
つまり、演者個人のキャラクターで笑いを取ろうとするのは邪道である、というのが松喬師匠の持論だったそうです。

非常に興味深いお話を色々聞くことができました。
個人的には生喬師匠が天使さんのことを「米朝師匠の筆頭玄孫(やしゃご)弟子」と称していたのが面白かった。
天使さんは桂米朝師匠の玄孫弟子第一号の噺家さんです。
存命中に玄孫弟子を持った落語家は東西通じて米朝師匠が初だと言われています。

オープニングトークに続いては、露の紫さんによる「看板の一(ピン)」。
第5巻収録第21話に登場する噺です。
今回紫さんが演じられたのは、江戸弁のおやっさんが登場するバージョン。
過去にもこのタイプの「看板の一」を聴いた記憶はあるのですが、誰が演じていたんだったろうか……。

続いては笑福亭生喬師匠の「遊山船」。
記念すべき「しっぽな」の第1話で大黒亭文狐が演じている演目です。
はめ物(鳴り物)も入って上方落語らしい噺。
生喬師匠の「遊山船」は初めて拝聴しました。
序盤の出店の売り声がパワフルで、にぎやかな情景が鮮やかに浮かびます。
喜六の嫁さんの最後の台詞が粋の極みで、個人的に大好きな噺です。
ちなみに、喜六と清八が夕涼みに繰り出す難波橋は先日このブログで紹介していますので、よろしければそちらもご覧下さいませ。

https://soja.hatenablog.com/entry/2021/08/09/160623

仲入の後は「住よし踊」が披露されました。
「住よし踊」第2巻収録第6話で描かれています。
主人公のまめだが初めて寄席の舞台に立つシーンでした。

続いて、桂三扇師匠演じる「引き出物」。
この日唯一の新作落語でした。
結婚式の引き出物や中元・歳暮等、押し入れに放置したまま眠らせているというあるあるを擬人法を用いて描いています。
新作の中でこれは好きな噺です。
マクラの「しっぽがない師匠もいるんですねぇ」という話に場内爆笑(笑)。

トリは月亭八方師匠による「崇徳院」。
第1巻収録第2話に登場する演目です。
崇徳院の「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はんとぞ思ふ」という歌がキーフレーズとなる噺。
作中で熊五郎が「瀬をはやみ~」と口ずさみながら町をうろつきますが、その「瀬をはやみ~」にああいう節がついている演出は初めて聴きました。
サゲは鏡が出てくるバージョンでした。

今回の「しっぽな落語会」、上方落語の魅力を堪能できるとても良い会だったと思います。
「しっぽな」を読んで初めて落語を聴きに来たというお客さんも多かったようです(露の紫さんが挙手を促すと、約1割が初めて落語を聴きに来た方だった模様)。
アニメ化されることが先日発表されたこの作品をきっかけに落語に興味を持って、寄席に来て落語が好きになる方が増えることにつながれば、こんなに素敵なことはありません。
このブログでもどんどん推していきたいと思います。

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桂宗助改メ二代目桂八十八襲名披露公演

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本日大阪でスタートした、桂宗助改メ二代目桂八十八襲名披露公演に行ってきました。
八十八(やそはち)は三代目桂米朝の俳号で、その米朝師匠の事実上の末弟である桂宗助さんがこの度二代目として襲名されました。


俳号を芸名として襲名するというのは歌舞伎界ではよくあることらしく、歌舞伎に疎い私でも知っている名前で言えば「獅童」や「中車」も元は歌舞伎役者さんの俳号なんだそうです。

二代目八十八師匠は、米朝師匠の端正な芸風を受け継いだ正統派の上方落語家として知られています。
襲名当日の今日の演目は「はてなの茶碗」。
京都の道具屋の貫禄ある主を美しく演じられた高座、最高でした。

襲名披露公演というものを会場で観るのは、八十八師匠の兄弟子である桂米團治師匠の松山公演以来でした。
やはり独特の雰囲気があります。
名前も芸も受け継ぐという日本の芸能の伝統が継承される場に居合わせているということに感動します。

9月27日からの繁昌亭十五周年記念特別公演桂米朝一門ウィークも、八十八師匠の襲名披露公演として行われます。
そこではどんな噺を聴くことができるのか楽しみに待ちたいと思います。

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長田悠幸、町田一八「SHIORI EXPERIENCE ジミなわたしとヘンなおじさん 第17巻」

【ネタバレあり】


SHIORI EXPERIENCE ジミなわたしとヘンなおじさん」の17巻が本日発売されました。
電子書籍だと真夜中に日が変わってすぐにダウンロードして読めるので夜更かし不可避です。

前巻でバンドからの脱退を宣言した本田紫織がニューヨークに到着。
しかし、ジミ・ヘンドリクス(の霊)を受け入れようとしないジム・モリソン(の霊)の言動から、バンド The 27 Clubは空中分解の危機に。
分裂は避けられない空気に陥るも、スタジオでジミがカート・コバーン(の霊)の曲をプレイしているのを見て、The 27 Clubのメンバーは前に進み始めます。
まあ人間関係はまだギスギスしそうですが、次巻どういう展開になるのか注目です。

一方、本田を失ったSHIORI EXPERIENCEのメンバーは完全に無気力状態。
バンドを続けるのか解散するのかということさえ明確でない様子。

さらに吹奏楽部顧問の青島すばるは、部員を相変わらずのスパルタで指導するも、光岡音々の抜けた穴を埋めるには至らず苦悩していました。
光岡の幻影を追い続けていては駄目だと気づいた青島は、自分の過ちを認めて部員に謝罪。
それまでの個人の力に頼る方針を覆し、個々の個性を尊重したチーム作りに大転換してコンクールに挑むことになります。

本田が脱退して軽音部が活動を停止していることを知った青島は、光岡に命じてSHIORI EXPERIENCEのメンバーに吹奏楽部のコンクールでの演奏を見に来るよう伝言させます。
光岡からのメッセージを読んだメンバーは、バラバラにではあるものの全員がコンクールの会場へ。
そこで繰り広げられた新生吹奏楽部の演奏に心を動かされたメンバーは、再び始動することを決意します。

この吹奏楽部のパフォーマンスのシーンが、この17巻のハイライトでしょう。
部員たちの表情が今までになく生き生きとしているのも印象的な名場面。
今回は吹奏楽部の演奏で泣かせに来るとは予想外ですよ先生方。

そしてコンクール翌日、久々に部室に集まったSHIORI EXPERIENCEの面々。
八王子茂(プリンス)が本田に代わってギター、目黒五月がベースを弾きながら歌うというスタイルで練習しているところへ青島登場。
吹奏楽部と兼任で軽音部の顧問就任を一方的に宣言!
というところで待て次巻!

いやー、もうすばる先生しか勝たんでしょこれ。
これから一体どういう展開が待っているのか。
18巻発売までまた半年も待たないといけないのか……。

尚、17巻の個人的なMVPはすばる先生のお下品な伝言を一言一句違えずバンドメンバーに送信する光岡さんです(笑)。
やっぱり光岡さんめっちゃ面白い子やわー。

 

 

難波橋

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上方落語の舞台の歩き方シリーズ。

水都大阪(大坂)の情景を表した言葉に、浪華八百八橋というものがあります。
今回取り上げるのはその大阪の橋のうちの一つ、難波橋
大阪市の大川に架かる橋で、北側から渡ると西天満から中之島を跨いで船場の北端である北浜に至ります。
写真のように獅子の像がこの橋のシンボルで、「ライオン橋」とも呼ばれています。

難波橋が登場する落語と言えば「遊山船」。
代表的な夏の噺です。

夏の日、大川端に夕涼みにやってきた喜六・清八という二人の男。
川を行く屋形船を難波橋の上から眺める二人のやりとりを中心に展開する噺です。

出店の売り声や花火の見物人の掛け声等がはめ物(鳴り物)を交えて演じられる上方落語らしい演目です。

現在の難波橋は大正年間に架けられたもので堺筋の一部ですが、それ以前は一本東側の難波橋筋に架かる橋でした。
「遊山船」に登場するのは、難波橋筋にあった難波橋ということになります。

喜六・清八の眼下に、碇の模様の揃いの浴衣を着た人達を乗せた船がやってきます。
橋の上から声をかける清八。

「よぉよぉ! さても綺麗な碇の模様!」

船に乗っている女性の一人がそれに応えます。

「風が吹いても流れんように」

いやー、この場面は最高です。
数ある上方落語の演目の中でも屈指の粋な台詞ではないでしょうか。

これを隣で聞いていた喜六は自分も同じやりとりをしてみたくなり、家に帰ると妻に真似事をしようと持ち掛けます。
妻は碇の模様の浴衣を着て庭のたらいの中に座り、それを屋根の天窓から見下ろす喜六。
しかし長らく押し入れに突っ込んでいた浴衣は酷い汚れようです。

「とても綺麗なとはよう言わんなぁ……。
 よぉよぉ! さても汚い碇の模様!」

「質へ置いても流れんように」

機転が利いた粋な返答。
喜六の妻、センス良すぎでしょ。
咄嗟にこんな台詞を繰り出せるようになりたいわー。

 

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愛宕山

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今回は上方落語の「愛宕山」の舞台である京都の愛宕山を紹介します。

落語ファンである私の趣味の一つに、落語の縁の地巡りがあります。
いわゆる聖地巡礼ですが、今回取り上げる愛宕山には古くから多くの参拝者を集める愛宕神社が山頂に鎮座しており、本当の意味での聖地です。

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愛宕神社は火伏の神を祀る神社として知られています。
この京都・愛宕山愛宕神社は、全国に約900社ある愛宕神社の総本社。
「火迺要慎(ひのようじん)」のお札を台所に貼っておくと、火災から守っていただけると言われています。

しかしながら、落語の「愛宕山」という噺では、登場人物が山頂の愛宕神社に到達するまでは描かれていません。
山の中腹の茶店の近くで弁当を食べ、かわらけ投げをきっかけに大騒ぎするシーンで噺は終わります。
とは言え、一行の目的地が愛宕さん(愛宕神社)であるということははっきりと語られています。

この「愛宕山」の時代設定は明治初期。
その頃はトレッキングシューズではなく、下駄や草鞋で山を登っていたことになります。
昔の人は健脚だったんですねぇ。

祇園町から西へ西へ。
 鴨川を渡ります。
 二条のお城も尻目に殺しまして、野辺へ出ますと春先のことで空にはヒバリがちゅんちゅんさえずっていようか、下にはレンゲ、タンポポの花盛り。
 陽炎がこう燃え立ちまして、遠山にはすーーーっと霞の帯を引いたよう。
 麦が青々と伸びて、菜種の花が彩っていようという本陽気。
 やかましゅう言うてやって参ります。
 その道中の陽気なこと―――」

ハメモノ(鳴り物)も入って、上方落語らしく華やかな噺です。

愛宕山では実際にかわらけ投げをする場所があったようで、跡地に説明のボードが立てられています。

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しかし、作中で幇間の一八(いっぱち)が傘をパラシュート代わりに飛び降りた崖は描写からして垂直に近いような崖だと思われますが、実際の場所はそこそこ急な斜面、程度のものでした。

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まあ、落ちたら怪我をするくらい危険なのは間違いありませんが。

桂米朝師匠が若手の頃に「愛宕山」の稽古をつけてもらった際、「この噺は嘘ばかりで、実際の愛宕山とは違うので行かない方が良い」と言われたそうです。
うーん、なるほど(笑)。

しかし、この愛宕山が京の人達に親しまれてきた存在であることは間違いないことです。
落語の「愛宕山」に登場する一行が、祇園から徒歩で移動して愛宕山の山頂まで登っていたというのがどれほどの運動量だったのかということも、ある程度実感することができました。
愛宕山は登りやすいルートでも往復5時間ほどかかるとされており、祇園からの行き返りを考えると朝何時頃に出発したんだろうかなど、色々想像が膨らみます。
まあそのあたりは、上述の「この噺は嘘ばかり」とも絡んでいるのかもしれませんけども。

いずれにしても、やはり落語ファンとしては訪れておきたかった場所であり、その後に「愛宕山」を聴く時の印象も変わったような気がします。

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