群青色の時間

遥かなるマスター・オブ・ライフ<人生の達人>への道

坂本龍馬命日 近江屋跡と墓所

昨日11月15日は坂本龍馬の命日でした。
旧暦の11月15日はまた別の日なんですが、まあ細かいことは置いといて。

尚、この日は龍馬の誕生日でもあるとされています。
龍馬の妻であるお龍さんが、誕生日と亡くなった日が同じだと語ったことが根拠となっているようですが、正しいのかどうかはわかりません。

今年は11月15日が日曜日で仕事が休みだったため、龍馬のお墓参りに行ってきました。
龍馬の墓は京都市東山区の京都護国神社にあります。
彼の時代だと大坂(大阪)から京へは八軒屋から三十石船に乗って伏見まで行き、そこから歩くというのが定番のルートでした。
随分時間のかかる移動でしたが、今ではJRか京阪か阪急で数十分です。

今回は阪急を利用しました。
終点の京都河原町駅で降りて、まずは龍馬が暗殺された近江屋があった場所へ。

f:id:soja_88:20201117001525j:plain

坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地」という石碑が建てられています。
現在、遭難という語は登山中にアクシデントに見舞われること以外であまり使われないようですがなぜなんでしょう。
本来はえらい目に遭うこと全般が遭難のはずですけどね。

ちなみに中岡慎太郎は襲撃された後2日ほど生きていたため、龍馬とは命日が異なります。
中岡が亡くなるまでに、襲撃された際の様子について語ったことで、事件当時の状況がある程度わかっているわけです。

近江屋跡地は現在回転寿司店になっています。
客になりさえすれば、龍馬が殺められた現場の敷地内に合法的に入れるわけです。
入れるなら入るしかありません。

寿司を食べつつ「この上で龍馬と中岡が……」、茶碗蒸しを匙ですくいつつ「軍鶏も食い損ねて……」、茶を飲みつつ「藤吉も難儀なことやったな……」などと、終始天井を見やりながら思いを馳せていたのは言うまでもないことです。
この店で天井をやたら見上げている客がいるとすれば恐らくただの龍馬ファンなので、すわ不審者発見などと誤解しないでいただきたいです。

近江屋事件現場見学(兼食事)を終えたところで、龍馬と中岡の墓がある京都護国神社へ向かいます。
少々距離はありますが、秋で気候も良いので歩いて行くことにしました。
歴史好き的には京都は町全体がテーマパークのような所です。
いくらでも歩き回れるというものです。

京都護国神社には幕末の志士や維新以降の戦争での戦死者が多数祀られています。

f:id:soja_88:20201117001637j:plain

桂小五郎は後の木戸孝允です」。
親切(笑)。

お墓の前まで行くには拝観料300円を支払います。
昨日は龍馬の命日ということで、支払い時に龍馬か中岡の名刺をいずれか1枚いただくことができました。
好きな方を選べたので、私は龍馬のものをいただきました。
いやー、やっぱりもう300円払って中岡のももらえば良かったわー。

f:id:soja_88:20201117001913j:plain

さてお墓です。

f:id:soja_88:20201117001722j:plain

正面向かって左が龍馬、右が中岡の墓石です。
囲っている内側の左奥に、近江屋で二人と共に斬られて落命した従僕の藤吉の墓石もあります。
同じ場所に葬られているというのは、龍馬の思想に合っているように思えて心に響くものがあります。

昨日は命日ということで拝みに来ている方もかなり多く、龍馬と中岡の墓の前には行列ができていました。
順番に墓の前で拝ませていただくわけです。
私が行ったあたりから人数が増えてきて、私が拝んだ後には100人ほどが列をなしていました。

龍馬が亡くなって今年で153年。
今に至るまで坂本龍馬という人物に共感する人が後を絶たず、墓の前に行列ができているなどということには、恐らくご本人は草葉の陰で苦笑いしていることでしょう。

我々が生きている令和の世は、龍馬や中岡ら維新回天のために命を落とした有名無名の幾多の志士達が開いた世界の延長上にあります。
京都に行くと、歴史は書物の上のことではなくて、(多少の相違がある可能性は否定しませんが)現実に起こったことなのだということを強く実感させられます。
こういったことは修学旅行で初めて京都を訪れた13歳の頃にはわからなかったことですが、年齢を重ねると見えてくるものも当然違ってきます。
やはり、京都という町は日本において、更に言えば日本人にとって、特別な場所なんだろうと思います。

<2020年11月撮影>