群青色の時間

遥かなるマスター・オブ・ライフ<人生の達人>への道

ジョン・レノン

ジョン・レノンがこの世を去ってから今日で40年です。
生きていれば80歳でした。
今年2020年は、生誕から80年、亡くなって40年という年です。

ザ・ビートルズは私にとって神です。
彼らのファンになったのは1992年、つまりビートルズのデビュー30周年の年でした。

2000年12月、大学を卒業して就職したばかりの私は埼玉県に住んでいました。
ジョンの20回目の命日、仕事が休みだったので、当時さいたまスーパーアリーナの中にあったジョン・レノンミュージアムを初めて訪れました。
献花台が設置されていて、この日に合わせてやってきたと思われるファンの姿もありました。
あれから今日でさらに20年経ったというのがちょっと信じられません。

ビートルズを生んだリバプールを訪れたのはその2年後、2002年12月。
リバプールはまさに聖地の空気を湛えた場所でした。
その時はロンドンからコーチ(長距離バス)でリバプールに行ったので見ていないのですが、ジョンの名前が冠されたリバプールジョン・レノン空港には彼の銅像があるので、銅像ハンターとしていつか巡礼させていただきます。

2014年、ジョンの愛妻、オノ・ヨーコフジロックフェスティバルに出演するというサプライズ。
この年は元々フジロックに行くつもりだったので大歓喜
まさか生でオノ・ヨーコを目にする日が来るとは思いませんでした。
詩の朗読などもあり、ヨーコさんらしさ全開のステージ。
周りのオーディエンスからは「イマジンとか歌わないんだな~」というような声も聞こえましたが、そう、イマジンとか歌わんのよ。
ちなみに会場はレッド・マーキーでした。

40年前の今日、ジョンが撃たれた時、ヨーコさんはジョンのすぐ隣に立っていました。
一体どのような心理状態だったのか、想像もできません。
犯人のマーク・チャップマンは、連れ立っていた二人のうち、間違えることなくジョンだけを狙撃する冷静さを持っていたことになります。
凶行に及ぶ数時間前、チャップマンは路上でジョンからアルバム「ダブル・ファンタジー」のジャケットにサインをもらっています。
彼の心理を理解することももちろんできません。

ジョンが銃殺されたニューヨークのダコタハウスも、私が生きているうちに行かなければならないと思っている場所の一つです。
まだ行けていません。
40代のうちには行きたいと思っています。

 

ギミ・サム・トゥルース.(完全生産限定盤)(2SHM-CD+Blu-ray)