先日、鳴海球場の跡地を紹介しましたが、こちらも名古屋の野球場跡地巡りの報告です。
ここは名古屋市昭和区のJR東海八事球場跡地。
八事は“やごと”と読みます。
1924年4月、この球場(当時の名称は山本球場)で第一回目の選抜中等学校野球大会が開催されました。
現在の選抜高等学校野球大会、いわゆる春の甲子園ですね。
センバツは甲子園ではなく名古屋で始まった大会なのです。
ちなみに、阪神甲子園球場が開場したのはこの1924年の8月です(当時の名称は甲子園大運道場)。
初めてのセンバツ大会が行われていた時、聖地・甲子園はちょうど建設中でした。
1924年が甲子(きのえね)の年であったことから“甲子園”と命名されました。
1年早ければ癸亥園(きがいえん)球場、1年遅ければ乙丑園(いっちゅうえん)球場になってたんですかね。
結果的には常用漢字で表記できる甲子園で良かったですよね(適当)。
平成最後のセンバツの組み合わせ抽選が一昨日行われました。
大正13年に名古屋で始まった大会は、昭和、平成を経て、次の時代へと受け継がれます。
また、1936年には東京巨人軍(現在の読売ジャイアンツ)と大阪タイガース(同阪神タイガース)がこの球場で初めて公式戦を戦っています。
日本プロ野球で伝統の一戦と呼ばれる対決の初戦は、まさかの名古屋で開催されていたのです。
今となってみれば、この両軍の初戦が東京と西宮(大阪タイガースという名前ですが、甲子園は兵庫県西宮市にある球場です)の間の中立地帯で行われたというのも歴史的な何かを感じさせる気がします。
知らんけど。
八事球場は1990年に閉鎖され、跡地には写真のようなモニュメントが建てられています。
<2019年2月撮影>