群青色の時間

遥かなるマスター・オブ・ライフ<人生の達人>への道

終戦75年 思い出す「最後のキャッチボール」

終戦記念日です。
1945年から今年で75年。
私の世代だと、祖父が実際に戦地に行っていたり、リアルタイムで戦争を経験した人達と関わったことがある方も多いと思います。
それでも太平洋戦争は「歴史上の出来事」という捉え方をしてしまうわけで、これが明治や大正生まれの人とは会ったこともないという世代になると、8月が来るたびに戦争に関するニュースやドキュメンタリーがテレビやネットに流れていることをどういう感覚で受け止めているんだろうと思ったりしています。

カープファンの私は広島を何度となく訪れていることもあってか、特にこの時季になると野球と戦争を結び付けて考えることが多く、野球を観ながら一喜一憂できる平和な世の有り難みをしみじみ感じています。
野球が観られるだけで有り難いんだから、ちょっと連敗したくらいで文句言ったりしてちゃ駄目なんですよね本来は。
まあ私は修行が足りないので、それとこれとは、ということにどうしてもなりますけどね。

近年はカープ球団もピースナイターと銘打った試合を公式戦で実施するなど、広島のチームとして平和の大切さを発信する取り組みを行っています。
チャンスがあればピースナイターも現地で観てみたいものです。

プロ野球選手にも戦死された方が大勢いらっしゃいます。
代表的なところでは、大日本東京野球倶楽部(のち東京巨人軍、現読売ジャイアンツ)のオリジナルメンバーで日本プロ野球黎明期のエースと言って良い沢村栄治大阪タイガース(のち阪神軍、現阪神タイガース)で闘将と呼ばれ投手と打者でそれぞれ複数のタイトルを獲得するなど二刀流でチームの中心選手として活躍した景浦将らがいます。
このあたりの選手は伝説どころか神話レベルの人達というイメージを個人的には持っています。
甲子園球場内にある甲子園歴史館で景浦が実際に使用したバットを見た時は震えました。
京都国立博物館坂本龍馬の佩刀・陸奥守吉行を拝んだ時以来の衝撃でしたね。

戦争で命を落としたプロ野球選手の中に、石丸進一という人物がいます。
フジテレビ系列の「プロ野球ニュース」内で、1990年代のいずれかの年の夏にドキュメンタリーが放送されたと記憶していますが、それが非常に印象的なものでした。
そのドキュメンタリーのタイトルは「最後のキャッチボール」。
同じタイトルで映画にもなっているのですが、それとは違って、番組独自で作ったものだったと思います。

石丸は名古屋軍(現中日ドラゴンズ)で内野手、投手として活躍した選手でした。
先述の沢村栄治は日本プロ野球初のノーヒットノーラン達成者ですが、戦前・戦中のプロ野球で最後にノーヒットノーランを記録したのが石丸でした。

当時は兵役を免れるために学生として大学にも在籍する選手が多かったようで、石丸も日本大学に所属していました。
しかし、戦局の悪化に伴い学徒出陣で石丸も召集され、1945年には神風特別攻撃隊の隊員となります。

出撃を前にして、石丸は同僚とキャッチボールを行い、「これで思い残すことはない」と言い残したと伝えられています。
記録では、石丸は出撃して未帰還、戦果は不明、とされているそうです。
特攻隊の零戦は敵艦に達する前に撃墜されることも多かったようなので、不明というのは確認ができていないという意味でしょう。
いずれにしても命を落としたことは間違いないと思われます。
享年22。

この「最後のキャッチボール」がプロ野球ニュースの中で放送されたのが何年だったのかわかりませんが、野球を選手としてプレーしたりそれをファンとして観たりできるのは当たり前ではないんだということを痛感したことは覚えています。
今日も有り難さを心にとめながら、テレビで野球を楽しみたいと思います。

戦場に散った野球人たち (文春e-book)

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