群青色の時間

遥かなるマスター・オブ・ライフ<人生の達人>への道

松尾芭蕉、河合曾良(福島市)

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俳句に詳しいわけでもない私でも、松尾芭蕉の句というのはいくつも知っているので、まあレジェンド中のレジェンドでしょうね。
当たり前ですけども。

中学校の国語の教科書に載っていた芭蕉の句には、古さを感じさせない美しさがあるという印象を持ちました。
切れの良い体言止めは、見逃し三振を奪う伸びのある直球を彷彿とさせます。

立石寺で詠まれた「閑さや岩にしみ入る蝉の声」という句が、夏の情景を素晴らしく鮮やかに表現していて、わずか十七音で作り出す世界の奥深さに驚嘆したものです。
いつか立石寺に行ってみたいと思いながら、まだ果たせていません。

ところで、立石寺というのは、教科書の知識で“りゅうしゃくじ”と読むものだと思い続けてきました。
ところが、今日この記事を書く中で“りゅうしゃくじ”で変換できないことに「?」となってググったところ、現在では“りっしゃくじ”と呼ばれているとのことでした。
うーん、下手すると死ぬまで“りゅうしゃくじ”だと思い込んだままだった可能性がありますね。
こういうことが他にも色々あるのではと思うとちょっと冷や汗が出ます。

余談ですが、日本シリーズも、昔は“にほんシリーズ”と言っていたのに、いつの間にか“にっぽんシリーズ”になっているということに最近まで気付きませんでした。
ちょっと言葉に対する感度が下がっているのかもしれないので、もっと注意深くならなければ。

また、「夏草や兵どもが夢の跡」という句は、目にするたびに「松尾芭蕉も妄想系旅人だな」と思ってしまいます。
私も名所旧跡などを訪れると、「おおー、ここで○○年前に……」などとテンションが上がり、周囲の人の冷笑を買うというのがお定まりのパターンです。

芭蕉と旅路を共にした曾良は、妄想系旅人に理解のある人物だったと信じたいところです。

<2017年7月撮影>

週刊おくのほそ道を歩く 立石寺

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