群青色の時間

遥かなるマスター・オブ・ライフ<人生の達人>への道

司馬遼太郎「竜馬がゆく」

坂本龍馬を題材にした小説は数あれど、やはり司馬遼太郎の「竜馬がゆく」が白眉であり金字塔と言えるでしょう。
坂本龍馬という人物はもはやある意味、架空のキャラクターに近いものとなって崇拝されている感がありますが、それが形作られたことについてはこの「竜馬がゆく」という作品による影響が大きいと思われます。

坂本龍馬は歴史上そんなに神格化されるような人物ではない。小説やドラマによる創作、捏造だ」と言う人も多く、それが高じてアンチ化している方々も見受けられます。
実際にどういう人物だったかなんて無論わからないし、直接龍馬と交流があった人の人物評にしても尾鰭が付いていることも少なくないでしょう。
でもどうでも良いんですよそんなことは。
今生きている芸能人やスポーツ選手に関する情報すら、ウィキペディアに載っていることが全て正しいなんてことはないんだから。
確認しようがないことをああだこうだ言うのはあまり意味のないことです。
「本当のとこはわからないんだよなぁ」と思いながら、「チコちゃんに叱られる!」の「たぶんこうだったんじゃないか劇場」くらいのノリで洒落で妄想したって良いんですよ。

この「竜馬がゆく」という小説で、私が特に好きなのは下記の一節です。
竜馬(この作品の登場人物としてはこう表記する)が暗殺された後の、作品の最後の部分にあります。

「天に意思がある。
 としか、この若者の場合、おもえない。
 天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした」

坂本龍馬のあまりにも劇的な生涯を端的かつ的確に言い表しています。

龍馬は新しい世で岩崎弥太郎のような事業に携わりたかったのかもしれません。
しかし、不謹慎を承知で言いますが、坂本龍馬の伝記が例えば「幕末には志士として活躍し、維新後は実業家として成功を収めた」というようなものだったとすれば、ここまで英雄的な扱いはされていなかったのではと思います。
大政奉還が宣言されたわずか1か月後、明治の幕開けを待たずして(さらに言えば戊辰戦争の前に)この世を去ったということが、あたかも創作されたシナリオのようです。
幕末の風雲の中で、坂本龍馬にしか成すことのできないミッションは既に完了した、ということを暗示するかのようなタイミングで凶刃に倒れたという事実一点に限っても、架空の人物的な要素を龍馬は元来持っているのです。
色んな意味で奇蹟です。

後年の人々をして近代以前の世に思いを馳せしめるところまでが、天が坂本龍馬に与えたもうた役割だったんじゃないかとさえ考えてしまいます。

 

新装版 竜馬がゆく 1-8巻 セット

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