群青色の時間

遥かなるマスター・オブ・ライフ<人生の達人>への道

すずさんリターンズ! 「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」

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<ネタバレあり>

一昨日、片渕須直監督による映画「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」が公開されました。
2016年11月に公開された映画「この世界の片隅に」に、約40分間のシーンが追加された作品です。
前作も一本の映画として完成された内容でしたが、今回はそこでは描かれなかったエピソードが加えられることで、印象が大きく異なる作品になっています。
こうの史代さんの原作漫画の全体のイメージに近づいたと言えると思います。

今回は公開初日に有休を取ってテアトル梅田での初回上映を観て、今日同じ館で2回目の鑑賞をしてきました。
今日は片渕監督の舞台挨拶付きの上映でした。

ツイッターにも書かれていましたが、舞台挨拶での片渕監督のお話によると、映画冒頭で主人公のすずさんが中島本町(現在の広島市中区中島町)に海苔を届けに行くエピソードは昭和8年(1933年)12月22日の設定だそうで、ちょうど86年前の今日の出来事であるとのことです(ちなみに原作では、該当する場面は昭和9年1月のお話ということになっています)。
翌日の昭和8年12月23日は、皇太子殿下(現在の上皇陛下)がお生まれになった日で、それを祝賀する当時の町の様子を調べる術がなかったために12月22日としたのだとか。
史実や実際の地形等の描写に妥協しない片渕監督らしい話でした。

今作はタイトルに「(さらにいくつもの)」という言葉が追加されているとおり、すずさんを中心に構成されていた前作と比較すると、様々な人達がそれぞれ自身が身を置く“世界の片隅”で各々の境遇を背負って生きている様を描写しており、ここまでテイストの違う作品になるのだということが非常に興味深いです。
「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」とは、言いえて妙のタイトルです。

特に、前作の映画では登場しなかったテルちゃんという女性とすずさんが会話するシーンは印象的です。
名前や遺品は前作にもちらっと出てきているので、いずれ長尺版を作る場合には登場させることを前提にしていたでしょう。
自分の人生を不幸だと嘆くこともせずににこにこ笑っている彼女が出てくるシーンはここだけです。
その雪の日のやり取りは、2人にとって一期一会のものとなります。
今作終盤の台風の場面でも、戦争でなくても人は死ぬ、という台詞がありますが、また会えるということが当たり前ではないのだと、思い出させられます。

今作ではすずさんとリンさんの交流が大きなポイントとなっています。
2人が出会ったのは昭和19年(1944年)8月で、リンさんが犠牲となったと思われる呉の空襲が昭和20年(1945年)7月。
わずか1年足らずの時間だったことになります。

平和な日々を享受している現代日本の我々ですが、戦争に限らず、生き続けることができなかった人々がいるのだと思えば、悔いのない毎日を送らなければならないと改めて感じます。

ところで、以前このブログで原作の漫画を紹介した時にも書いた、「困りゃあ売れるしね!」という台詞も今回出てきました。
いや本当に、現代の価値観で過去の人々の行為を否定するのはナンセンスだと常々思っています。
この言葉を映画でも出していただけて良かったです。

映画「この世界の片隅に」は、すずさんという人物が幼少期から終戦直後までをどう過ごしたか、それを客観的に、もっと言えば周りの人達の視点に近い形で描いたという印象の作品で、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」は、すずさんの内面や他のたくさんの人達のそれぞれの“世界の片隅”での立場、そしてすずさんがそういった人達の生き方に触れる中で心を揺り動かされる描写が特徴的な仕上がりになっています。
できれば一作目を観てからの方が、追加されたシーンによって作品としての印象がこんなに違ったものになるというところを感じられるのでお勧めしたいところです。
しかし、無論いきなり今作を観てもらうことに何の問題もありません。
是非是非、少しでも多くの方に映画館で観ていただきたいです。