群青色の時間

遥かなるマスター・オブ・ライフ<人生の達人>への道

藤堂高虎(愛媛県今治市)

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藤堂高虎は戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武将です。

築城の名手として知られ、私の出身地・今治のシンボルの一つである今治城も、高虎によって造られました。
今治城は堀が海と繋がっているというユニークな城で、香川県高松城大分県中津城と合わせて、日本三大水城と呼ばれています。

町の名前の表記を、今張から今治と改めたのも高虎です。
「この地を今から治める」という決意を込めて改名したと言われています。

藤堂高虎は次々に主君を変えた人物としても有名ですが、自分の家臣に対しては非常に情が厚かったそうです。
自分の元を離れる家臣を無理に引き止めはせず、出戻ってくることも受け入れたと言います。
恩を感じればそれに応えようとしてくれるものだ、という考えがあったようで、このあたりはなかなか良い上司ぶりであると言えるのではないでしょうか。

ちなみに、新選組八番隊組長の藤堂平助は、津藩主・藤堂高猷(たかゆき)の落胤という説があります。
藤堂平助佐幕派新選組に所属した後、倒幕派御陵衛士に転じました。
彼が藤堂高猷の血を引くということが事実ならば、徳川幕府を開いた徳川家康に仕えた藤堂高虎の子孫が、時を超えて徳川幕府を倒す側に回ったことになります。
そして高猷の方も、戊辰戦争時に幕府軍から新政府軍に寝返った人物です。
藤堂高虎関ヶ原の戦いの際、西軍の武将を東軍に寝返らせる工作を行ったとされており、何やら運命の皮肉めいたものも感じさせます。

<2016年11月撮影>